思い返せばちょうど12年前、あまりに辞書通りなひと回り昔、私は『緋色友架』としてその存在を世に知られることになった。『知られた』と言えるほど人口に膾炙しただなんて恥ずかしくて言えないけれど、それでもあの時、私はこの世に生まれたのだ。肉を持ち脳を戴き、幾重ものハンデを抱えた出来損ないな私ではなく、『緋色友架』としての私の産声は、いとも容易く掻き消された。誰も知らないが故に埃をかぶるばかりだった蝋燭は、私自身でさえ押し入れの奥深くに仕舞い込み、一時は忘れざるを得なかった時すらあった。
当時の担当編集からは、「東京生まれみたいな恵まれた奴は、小説家みたいな夢見がちな職業に憧れやすい」などと揶揄されたが、生憎、私はそう恵まれた生まれではなかった。脳も身体も、家も全部。ただ、恵まれなさすら不幸自慢にできるほどに大したものではなく、経験も常識も能力も、なにもかもに欠けていた私は、あの時から12年を、見事に棒に振ることになった。なにも得るものがなかった訳ではないが、今更思い出そうとしても、なにもできないでいたあの10年を思い出すことは、上手くできない。記憶する意味すらなかった、本当に無意味な10年だったと思う。
脆弱な精神は限界を迎え、狂った脳は焼け焦げて、全部投げ出して逃げ出したのが、2年前。
そして耐え難い苦汁を飲まされ、丹念に踏み躙られて――――まぁ別に、そんなことで発破がかかった訳でもないけれど。
雨垂れ石をも穿つ。汗でも涙でも血でも胃液でも、石を割るには十分だったようだ。
――――第38回ファンタジア大賞、《編集部特別賞》受賞。
その報せを受けた時、私がどれだけ嬉しかったかなんて、きっと誰にも想像がつかない。『夢が叶った』のではない。『一度潰えた夢の初期位置へ、もう一度立たせてもらえた』のだ。散々に虚仮にされ、面倒だと見捨てられ、当然だと唾を吐かれ、まるで苦しめるために叶えてもらえたような夢の――――それなのにまだ、諦め切れずに追い縋り続けた夢の、そのスタートラインに。
……嬉しかった。無駄に語彙力のある自信だけはある私なのに、その程度の言葉しか出てこないくらいに、脳が焼けた。嬉しかったし、安堵したし、心臓が熱く痛かったのをよく憶えている。
久しく忘れていた――――なんて、偉そうにも言えやしない。作品をより面白く、より楽しく、より読んでもらえるように、他者からのアドバイスを受けて直すなんて仕事、まだ私は1度しか経験していない。それでもなんだか、懐かしかった。頭が痛かったし疲れたししんどいし、これからも何度も繰り返すと考えると憂鬱ですらあった。
けど、その憂鬱こそが、私の望むものなのだと、痛感した。
苦しんででも生みたい。生んだものを輝かせたい。その輝きに生かしてもらいたい。――――強欲だ。だが今更恥じる倫理観もない。私は望むように書いて、読者の方々には望むように楽しんでもらう。自分勝手なWIN-WIN。我欲で成り立つ相互の利益こそ、争いの起こり得ない平穏だろう。せめて、創作の場でくらい、そんな傲慢が通じたっていいだろう。
ページ数も発売時期も、イラストレーター様も未定な現状だが……きっとまだまだ、私は苦しむだろう。憂鬱で、疲れて、寝不足になって…………そしてそれを、笑うのだろう。楽しいね、って。
そんな人生を、あとたった50年ちょい、私が死ぬまでの間程度は、続けさせていただければ幸いだ。
